ロシア文学 戦争と平和 その二十 | ScrapBook

ScrapBook

読んだ本についての感想文と日々の雑感、時々音楽のお話を

その二十 ②157〜197

お昼前までに第一部第三篇11から14までを読んだ。

 

一八〇五年のアウステルリッツの戦い前夜から戦闘直前午前五時頃が物語の舞台である。ロシアとオースリリアの連合軍では、対峙するフランス軍相手にすぐにも攻勢を仕掛けようとするオーストリアの将軍ワイローターらと、それに反対する総司令官クトゥーゾフとが、作戦会議を開いていた。ワイローターが「もはや押しとどめようのない動きの先頭に自分が立っているのを、感じている」様子であるのに対して、老将軍クトゥーゾフは「作戦会議の議長と進行役をいやいや務めている不服そうで、寝ぼけた②165」様であった。なぜなら、この老将軍は「わしは、この戦いは敗けると思うし、トルストイ伯に言って、陛下にそうお伝えするように頼んでおいた②164」ばかりであったからだ。作戦会議において、勝利を盲信した人間が作戦案を説明しているのだから、クトゥーゾフが眠たくなってしまうのもいたしかたあるまい。いや、事実彼は、会議の場において眠ってしまうのだった。会議の席上で眠ってしまう総司令官をよそめに、ワイローターは、延々一時間にもわたり自説を主張するのである。途中、彼の作戦案に異議を呈する将軍がいたが、その都度ワイローターは自分への反論をことごとく退けてしまう。目を覚ました総司令官の「諸君、あすの、いや、今日の作戦計画を変えることは無理だ」「諸君は作戦計画を聞いたんだから、みんな、自分の義務を果たすんだね」という言葉とともに会議は散会し、こうして明日の攻勢が決まった。前線で士気が上がっている兵士たちとは対照的に、杜撰な作戦会議の様子が、今後の連合軍の行方を、明日の戦いの不幸を暗示しているかのようである。

 

その会議に参加していたアンドレイの胸中は複雑であった。自分が考える作戦案を会議の席上で披露しようと考えていたにも関わらず、ひとことも発言できないまま、ワイローターの案が裁可されたからだ。ナポレオンに対して今すぐに攻撃を加えるべきか、守勢であるべきか、彼には判断がつかなかったのみならず、傍目にもなし崩しのように決められた作戦案によって、「何万もの命と、おれの、おれの命を犠牲にしなければならない②174」かもしれないからである。迫り来る死への不安を誤魔化すかのように、彼の頭の中では連合軍が窮地に陥った光景が描き出され、自分が率いる連隊や旅団が決戦の地で勝利を収めることを妄想するのだった。いずれクトゥーゾフに代わって自分が総司令官として作戦を立案することまで思い描いていた次の瞬間、「なるほど、で、その先は?」「もしおまえがそうなるまでに十遍も、負傷も、戦死もせず、騙されもしないとして? いったい、その先はどうなる?②175」という声が聞こえる。孕った妻をひとりに置いておき、戦場に向かった彼は「名声を望み、人に知られることを望み、人に好かれることを望んでいる②175」に過ぎないことを、そのこと以外、彼は何も愛してもいなければ望んでさえいないとまで考え、それらの名声が得られるならば自分が大切にする家族でさえ「引き換えにする」という冷酷な考えが頭の中で渦巻いているのだった。物語の冒頭から、ほのめかされてきた、アンドレイの秘密というものが、存外世俗的であることに驚かされる。が、今後の物語の展開によっては、彼の価値観が根底から揺らぎ変容するかもしれない。あくまで彼の考えは、この時点におけるものに過ぎない。

 

連合軍は、フランス軍が戦場から撤退すると想定していたのだが、最前線に陣取るフランス軍では陣営に火が灯り、叫び声が起こっていた。皇帝ナポレオンが発した命令が部隊で朗読されているところに、皇帝自身が野営地を見て回っていたからだった。彼の姿を見かけた兵隊たちは藁の束に火をつけて口々に叫ぶ「皇帝陛下万歳!」と。そして、十一月二十日の朝を迎えることになった。