雑感 いわゆるギターソロ問題 | ScrapBook

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先日、「最近の若い人」は、「ギターソロ」を「聞」かないというYahoo!ニュースだったか、何かで目にした。
僕は、へーって思う反面、いろんなことを考え、思い返してしまった。

そもそもギターソロは、「ソロ」といえるのだろうか?

「ソロ」とは、字義ののまま、ひとりだけで楽器を演奏するものだとばかり、僕は考えていたし、それ以外、どんな解釈があるのかな? たとえは、ジョー・パスの一連の作品みたいな。

たとえば、フランク・シナトラ。オーケストラを「バック」に歌唱を披露するイメージだが、彼がオーケストレーションにこだわったのは周知の事実だ。

ザ・ビートルズという四人組が、大受けした理由の一つに、自分たちが作った曲(デビュー当時はカバーが多かったけど)を、自分たちだけで楽器を演奏して、自分たちだけで歌うという「スタイル」があると思う。彼らの演奏の中でも「ギターソロ」なるパートがあるわけなんだけど、「歌唱」の部分と「ギターソロ」の部分とを聴き分けているリスナーなんているのかな?

エリック・クラプトンは、デビュー当時「ギターの神様(いまとなっては、いささかギャグっぽいけど)」として崇められていた頃があった。その彼がデラニー・アンド・ボニーや、ザ・バンドの滲み出すような音楽に傾倒したことは、有名な事実だ。もっとも、彼の原点であるロバート・ジョンソンは自分で歌い、ギターを演奏したわけだから、今どきの若い人がスキップするという「ギターソロ」の典型の先達を、クラプトンは敬愛していたわけでもある。

1970年に結成されたウェザー・リポートというバンドの当初の課題は、テーマとソロとの解消ではなかったか? テーマがソロであり、ソロがテーマであるという考えのもとに、スタジオに籠り、それぞれが自発的につくり出す音に反応し合い楽曲を完成させるため、全ての音を録音してはプレイバックしたのは有名なお話だ。

今月、Jimi Hendrixの新譜(いうまでもなく発掘ライブ音源)がリリースされるので、先ほど、思わず購入するためにパチリしたばかり。彼が残した、決して多くはない作品にある「ギターソロ」に耳を傾けよう。彼のギターのメロディは、彼の歌よりもはるかに歌っていると、僕には聴こえるのだけど。「最近の若い連中ときたら・・・」こんなことを言い出すほど、自分は年老いたのだなーって感じてしまう今夜。Jimi Hendrix のAxis Bold As Loveを聴きながら。