日本文学 街とその不確かな壁(一) | ScrapBook

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読んだ本についての感想文と日々の雑感、時々音楽のお話を

「きみにはそういう人はいるのかな? きみを受け止めてくれる人が」

少年は首をきっぱり横に振った。「いいえ、ぼくにはそういう人はいません。少なくとも生きている人たちのあいだには一人もいません。だからぼくはいつまでも、時間の止まったこの街に留まることでしょう」

 

発売日(令和五年四月十三日)に「街とその不確かな壁」を購入した。が、偶然、今年の一月から集英社文庫版の「失われた時を求めて」を読んでいたものだから、本作を手に取る気になれなかった。ようやよく「失われた〜」を読み終えたのが数日前(正確にいうと令和五年四月二十一日だ)。その日の夜から、読み始めたところ、物語の美しさ(とりわけ第一部)に引き込まれてしまい、四日足らずで読み終えてしまった。いや、この作品には、読者をして再読したいと思わせる、物語の美しさと力強さとがある。

 

前作「騎士団長殺し」も、発売されてすぐに購入し、一週間ほどの時間をかけて読んだ。なるほど、作者の手慣れた世界(意欲や主体性が欠けた男性主人公と、異形の生き物が登場する不思議なお話)をどのように評価するかは、ひとり一人の読者が決めればよいのだろう。前作に関して僕は、本作ほど心動かされ揺さぶられることはなかった。ポール・オースターの作品をはじめとする、ストーリーの主要な部分(たとえば、長い期間車で旅を続けること、恋する人の住む家の向かい側に住むなど)さまざまな文学作品のコラージュのような感じが強く、また、執拗に描き込まれる自動車の描写に違和感を覚えてしまったものだ。異形の生き物騎士団長自体に、存在の必然性とでもいったものも(物語の説得力とでもいおうか)感じられなかった。

 

「村上春樹という作家知ってる? 『風の歌を聴け』という作品がいいよ。おもしろい」と、大学に入ったばかりの一九八七年の春、同じクラスの知り合ったばかりの同級生から教えてもらい、手に取ったのが僕の村上春樹体験の始まりであった。村上春樹さんが、ベストセラー作家(同年、「ノルウェイ森」を発表して一躍ベストセラー作家となるのだが)。でも、ノーベル文学賞の候補として毎年騒ぎ立てられるでもなく、文学好きな二十代三十代の一部が知っている程度の、新進作家であった頃のことだ。いうまでもなく「村上主義者」や「ハルキスト(これはかなり小っ恥ずかしい単語だ)」なんていう言葉が生まれるずっとずっと前のことだ。

 

一九八〇年代、「風の歌を聴け(現在の村上春樹さんは「風の〜」をほとんど評価していないとのことだが)」や短編集「カンガルー日和」「1973年のピンボール」にある、清々しさと軽さは、それまでの日本文学に根強くあった生活感や思想、果ては信条といった重苦しく、古臭く、ややこしいものから距離をとっていた。まるで真っ白い部屋の中で繰り広げられる無言劇であるかのような数々の物語は、新鮮であり、強烈な印象を、当時十代だった僕に与えたものだった。その物語たちは、大学の授業で学んでいた、カビ臭い文学臭から解き放たれた場所にあった。

 

そこで本作「街と不確かな壁」である。八〇年代の村上春樹さんの作品に馴染んでいる読者にとって、本作の第一部こそ、長年、待ち続けた村上文学の精華ではないか。十七歳の「ぼく」と、十六歳の「きみ」。「孤独」、「読書」、「手紙」、「図書館」といった村上文学ではお馴染みのキーワードが出てくることはともかくとして、本作の第一部は、さながら散文詩でも読んでいるような、偶然に開いたページのどこを読んでも、孤独な男の子と女の子との美しい恋愛と、ふたりにせまりつつある「影(「私」と「君」とが生きているもうひとつの世界の物語)」、やがて訪れる喪失を予感させる(勿論「喪失」は物語のどこかで「再生」につながるかもしれないのだが)。「ノルウェイの森」以降の作品で顕著であった露骨な性描写(人間の性衝動や性生活は、登場人物を造形する上で欠かせないパーツであるのは理解する僕だが、しかし・・・)がいささか鼻についていた。実際、「ぼく」と「きみ」とが性交渉をする場面があれば、僕は、本作に感動を覚えなかっただろう。多くの読者は、「ぼく」と「きみ」とに自然と自分を重ねてしまう。

「電車に乗ってきみの住む街に、きみに会いに行く。五月の日曜日の朝、空はまっさらに晴れ上がり、ひとつだけ浮かんだ白い雲は、滑らかな魚の形をしている」。

 

さっき、読み終えたものだから、思いつくことを書き綴ってしまった。気が向けばこの続きを書こう。